9月19日(土)10時より当館講堂にて、歴史講座第3弾として標記のテーマで開催しました。「九州に渡った蝦夷(えみし)」のテーマで、講師は「おおのじょうシティミュージアム(旧大野城心のふるさと館)」の上田隆児さん。柳川市や那珂川町(現・那珂川市)で長年、発掘調査等に取りくまれ、現在は大野城を拠点に調査活動をされています。考古学関連の著作もあります。今回のテーマが「珍しい」こともあって、参加者の皆さんも熱心に聴き入って質問もたくさん。
今回のお話しの柱は「1.蝦夷と俘囚 (えみしとふしゅう)」「2.考古学から見た九州の蝦夷・「1.蝦夷と俘囚 (えみしとふしゅう)」「2.考古学から見た九州の蝦夷・俘囚」の二つで、夫々、過去の文献や実際に発掘された遺物や遺構の調査結果を根拠として、「東北地方の蝦夷がどうして九州へ来たのか、またどのような生活実態であったのか」等を詳細に、資料を紹介してお話をされました。
1.【蝦夷と俘囚について】・・・蝦夷(えみし)とは、倭(やまと)王権(律令国家)の中華思想・華夷(かい)思想に基づく「古代の東北・北海道住人に対する蔑称」とのこと。当時、天皇(律令国家)の影響が及ばない地域の人々を「化外(けがい)の民」と位置づけ、国家が支配して倭人の文明化をさせるべき対象とされたもの。蝦夷について、当時の文献によると、「冬は穴に住み、夏は巣に住む」とか「毛を着用し血を飲み・・・山に登ること飛ぶ鳥のごとく」とか「五穀なし。肉を食い、樹の本に住まう」「狩猟を業として養蚕を知らず」とかなり誇張された記述がある一方、「弓術・馬術に秀れ、一を以て千にあたる」と優れた武力をもつ者との記述もあります。
「蝦夷」とは、「蝦夷とされた人々」が、自らをそのように呼称したものではなく、特定の時代・地域・民族をあらわす概念ではなく、古代国家が政治的意図から設定した概念といえます。「蝦夷」の地理的範囲は、「新潟平野~米沢盆地~仙台平野」を結んだラインの以北とされます。律令国家の方針に対しては、相当な抵抗があったとされ、一例として宝亀5年(774年)の、本格的な「征夷」から弘仁2年(811年)までの38年間に亘って果敢に戦ったとの記録があります(東北38年戦争)。このような、各地で戦争で捉えられた蝦夷が「俘囚(ふしゅう)」として国家に服属されることになります。この「俘囚」となった「蝦夷」は、全国に強制移住され、この強制移住を「移配(いはい)」といいます。
この「俘囚移配」については、「神亀2年(725年)、陸奥国俘囚578人を筑紫に移配」(続日本紀)、「宝亀7年(776年)、陸奥国から太宰管内諸国に395人、出羽国から太宰管内に358人移配」「俘囚…の親族66人を日向国に配す(理由は殺人のための流罪)」(類聚国史)など、各種文献に記述が残っています。
2.【考古学から見た九州の蝦夷・俘囚について】・・・九州で発掘された遺物・遺構から①黒色土器(内黒土器)②土師器調理具(甕・甑➡かめ・こしき)③長煙道カマド付竪穴建物④末期古墳(蝦夷の墳墓)が良好な形で確認された遺跡は、俘囚との関りが想定されるとのことです。根拠としては、①については、東北の土器はロクロを使わず、九州ではロクロを使用し、また九州では黒色土器はほぼ存在しないこと、②についても、九州では「丸底」で東北では「平底」、③についても、九州のカマドは「無煙道・短煙道」が主で、東北では「長煙道」④についても、日本列島の大部分で、7,8世紀には古墳築造が終焉を迎えるが、東北ではその後も、盛んに古墳に似た墳墓(末期古墳)を築造していた等、東北と九州の「違い」を明らかにした上で、「東北・蝦夷の文化」が九州に存在することから、「蝦夷が九州に渡った」ことを示すものです。因みに、④の補足として、那珂川市観音山古墳群平石Ⅲ群に見られる古代墳墓は、東北の末期古墳と酷似していることからも、蝦夷の九州への「移配」の証とされています。
その他、「古代東北系資料」「東北系資料が単体で分布する遺跡」とされる遺構を示す、九州各地の数々の遺跡を示して「九州に渡った蝦夷」を明らかにされました。
【まとめ】・・・①黒色土器②土師器(甕・甑)③長煙道カマドがセットで確認された集落は、「蝦夷・俘囚」の存在が想定できます。福岡平野、佐賀平野に集中している(特に佐賀平野)。「末期古墳」は現在のところ観音山古墳群のみだが、今後増加する可能性があります。ただ、「なぜ佐賀平野に多いのか」「集落構造の分析や土器の変容過程の分析が必要」「関東、近江、讃岐などのその他の地域の移配俘囚と九州との比較検討」「末期古墳と類似した墳墓の創作」「防人との関係」が今後の課題とされるという事です。
以上が、本日の講座「九州に渡った蝦夷」の概要です。尚、「俘囚(蝦夷)」は。官道沿いや各地の重要遺跡周辺に分布していることや、必ずしも移配先では排他的な存在ではなく、在地社会と調和的であったことや、今後「富豪化した」実態に迫れる可能性もあるということを付記しておきます。
【参加者のアンケート・・・一部抜粋】
●古い歴史書(50年~20年前)ばかり見ているので、最近の考古学の進展に驚きます。古代史が好きなので(飛鳥時代まで)改めて勉強し直したいと思います。
●なんとなく聞いていたことでしたが、具体的に資料を交えて聞くことができ理解できました。これからの研究に期待しています。
●蝦夷が九州に移住したことを初めて知りました。土器や古墳などとても興味深い内容でした。
●蝦夷と九州の関係を再認識できました。長煙道カマド付竪穴住居など大変勉強になりました。
●那珂川に東北由来の古墳の記事を読んでいたので、とても楽しみにしていました。異郷の地で生涯を終えたと悲劇的な背景を想像しましたが、富豪化した集団もいたことから、たくましさも感じました。今後の研究に期待します。
●面白い講座でした。アテルイの名前しか知らなかったので興味が湧きました。もっと詳しく知りたいです。今後の解明がとても楽しみです。
●今までにないテーマの講話でとても興味深かった。蝦夷が九州まで来ていた事を初めて知りました。