地元の方は昔から塚と呼んでいますが、桃﨑教授は「違うようだ」と見解が分かれる謎の場所があります。
柏原4丁目在住の徳永さんを案内人として、知っとる会のメンバー15人で現場検証に行ってきました。
6丁目の山の上のほうにあるパークゴルフ場の脇から入る林道を進んでいくと、その現場がありました。
なるほど、周囲400メートルほどの小高い丘になっています。
その前には、広場のような平らなスペースもあります。
しかし入口はみつかりません。
一番上まで登ってみると、なにやら大きな石がいくつもあります。
「昭和38年の大水害の折には、敷石のようなものが下の方に流れ着いていた」と徳永さんのお話。
今では植林で木が茂り、その様相がわかりにくいのですが、「その昔はこんもりとした塚がはっきり見て取れた」と徳永さんは言われます。
はたして、その真相は!?
林道を分け入って進みます |
塚の上に上がると石がごろごろ |
徳永さんの話をきくメンバー ここから登った糠塚池の上の所に今の照安寺はあったそうです。 |