今年度の歴史講座の第3弾は、先日ご案内しておりましたように標記のテーマで、10月19日に開催しました。
講師の福岡大学歴史研究部OB・仲田善則さんは、本県筑紫地区の小学校教諭を定年まで勤められ、現在は大野城市教育委員会にお勤めです。この柏原校区に数多くの遺跡や遺物が発掘され、古代から中世・近世の「柏原校区の宝」が知られていますが、その発端となった発掘作業に携わった経験をお持ちなのが、この「仲田善則さん」。発掘当時の柏原の様子や実際の発掘作業の様子等を交え、「古代に広がる柏原」を熱く語っていただきました。
この発掘作業は、住宅都市整備公団(当時)が計画した団地建設(現柏原6丁目)に伴う事前調査の位置づけで、1979年5月より1984年3月まで実施され、旧石器時代~中世に至る複合遺跡が多数発掘されています。調査開始時は、仲田さんは福大人文学部の「ピッカピカの1年生」。
先土器時代遺跡6ヶ所、縄文時代遺跡11ヶ所、古墳25基、古墳時代遺跡2ヶ所、古代遺跡1ヶ所、中世遺跡2ヶ所という発掘の成果があったそうです。仲田さんら歴史研究の学生は、夏休み等の長期休みを利用して、年間およそ100日ほど、現在のDUO柏原の対面の野球場あたりに建築された小屋で寝泊まりしていたそうです。この発掘調査では中国・唐代の緑・褐色・白三色の陶器である「唐三彩」が出土しており、新聞記事にもなったそうです(以下、1983年3月の記事の要約)。
『中国の唐時代に高官の副葬品として作られた陶器・唐三彩の皿の破片が柏原遺跡(福岡市南区柏原)から出土し、唐三彩が出たのは全国で11番目で、皿は初めてとのこと。唐三彩は遣唐使が国内に持ち込んだとみられ、これまで大宰府政庁跡など国の機関があった遺跡からしか出土していないとのことで、柏原に国の機関があったとする文献等は見つかっていませんが、今回の発掘では、当時の役人の身の回り品なども出土しており、福岡市教委は「九州の古代地図にない新しい国の役所・官衙の発見につながるかもしれない」と期待しているというコメントしている』と。もしかして、柏原に『国の役所』が・・・⁉