10月25日(土)10時より、今年度3回目の歴史講座を開催しました。今回は、柏原校区に点在する『庚申塔』『猿田彦大神』、さらに『大牟田古墳群A支群』を見学しました。当日は、生憎の雨天でしたが、参加者の皆さんは、興味深く「フィールドワーク」を楽しみました。講師は、毎度お世話して頂いている、福大考古学研究室助手・大重優花さんと学生さん3名。
初めに当館講堂にて、今回のフィールドワークにむけての事前学習を実施しました。『庚申塔』とは村の境目などに建てられた「塚」のことで、中国の道教を始まりとする『庚申信仰』(庚申の夜を眠らずに過ごし、健康長寿を願う信仰)が、平安時代に伝わり、室町時代に宗教的な特徴を持つようになったとされ、その時に建てられたものです。柏原地区には、江戸時代中期から明治時代の年が書かれている「庚申塔」が8基あります。
因みに、「庚申(こうしん)」とは、十干【甲、乙、丙、丁、戌、己、庚、辛、壬、癸】と十二支【子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、戌】を組み合わせた干支(えと)の60種類の57番目にあたるもので、「かのえさる」とも読みます。
この「庚申塔」の建立から「猿田彦」へ変わる大きな流れがあるとのことで、「庚申塔」を建てていた人々は、江戸時代・文化年間(1804~1818)を境に「猿田彦」を建て始めたそうです。これらの石像・仏像の顔や体を見てみると、崩れたり一部が無いのに気づきます。これは、1868年(明治元年)に維新政府の「神仏分離令」(神道を国の教えとしたため、仏教が排除された)により、廃仏毀釈の運動が惹起した結果と考えられるとのことです。
最後に「やまもも会館」のグランド奥の『大牟田古墳群A支群』を見学しました。足元の悪い中にもかかわらず、奥へ奥へと歩を進め、都合3基の古墳を「探検」して公民館に戻り、まとめの会議を行い解散しました。
おまけです‼十干(じっかん)の読み方の紹介です(日常にあまり使わないので) 。
申(コウ・キノエ)、乙(オツ・キノト)、丙(ヘイ・ヒノエ)、丁(テイ・ヒノト)、戊(ボ・ツチノエ)、己(キ・ツチノト)、庚(コウ・カノエ)、辛(シン・カノト)、壬(ジン・ミズノエ)、癸(キ・ミズノト)
【参加者のアンケートより・・・一部抜粋】
●今日は、前から見かけても分からなかったことを詳しく知ることが出来て良かった。古墳時代以前から栄えてる柏原地区。細い道が多くて、昔から住んでいたんだなあとおもいました。前のフィールドワークからも、古墳が何個も放置されていて、本当に16万個あるんだと思いました。
●今日は、小雨の中、郷土のお勉強。近くに色々歴史的なものがあり、我が故郷は、歴史的価値あり、素晴らしい。皆様お疲れ様でした。
●柏原には、素晴らしい史跡が多くあり、あらためて、この地域に住んで良かったと思ってます。これからもこのような企画をよろしくお願いします。
●ひっつき虫がうざかったけど、たのしかったです。みんな説明がとても分かりやすかったし、やさしくてそこもとても楽しかったです。また次行きたいなと思いました。
●まったく知らなかったことが知れたり、いろんな人たちや、やさしい3人とちゃんと学ぶことができてうれしかったし、おもしろく楽しかったです。