2026年2月26日木曜日

『歴史講座』を開催しました‼

 2月14日(土)10時より、当館講堂にて標記講座を開催しました。今回は、福大考古学研究室の学生さん2名による「研究発表」を予定しておりましたが、うち「装飾古墳」を予定のお一人が来れなくなりまして、急遽、学生さんを指導されている、研究室助手・大重優花さんに研究発表をして頂きました。それぞれテーマは、大重優花さん「有明海沿岸の鉄の流通」、学生・東司ちひろさん「滑石製石鍋~柏原にもあった!古代~中世・生活のあかし~」でした。参加者は18名でした。

【大重優花先生の発表】

桃崎祐輔教授の研究『中国沈船資料に積載された“鉄条材”と日本中世の棒状鉄素材の比較研究』を、文系だけでなく、理系の研究者もこの研究の「分担研究者」として協力しているとのことで、大重先生もその一人で、「鉄関係」の文書(もんじょ)を通して研究に参加されているそうです。

『鉄の名称と種類』~炭素含有量で分けられる~  江戸時代の市場に流通していた鉄は、①アラガネ(荒鉄)、ナベガネ(鍋鉄)、ヅク(生鉄・鉄)などと呼ばれた「銑」 ②ネリガネ(錬・錬鉄)、ヒラガネ(鍱・牧鉄)、ノベガネ(延鉄)、軟鉄・柔鉄などと呼ばれた「熟鉄」 ③ハガネ(刀・鋼・剛)、フケルカネ等と呼ばれた「釖(とう)」の三種に分かれるとのことです。

『鉄の価格』  比較的価格が安定していた文化・文政期の鉄価格は、「相馬郷土研究会」によると、百貫目につき「鉏(しょ)」は2.5~3.3両、「柔」は4.5~5.6両となり、柔は鉏の倍程度の価格であったと。近世では、熟鉄の方が銑よりも経済的価値が高かったといえる。なお、近世の東国の市場に流通したのは「鉏鉄(柔)」と「延鉄(熟鉄)」のみで、「釖(とう)」は殆ど確認できないとか。

『鋳物師(いもじ)』が運んだ鉄』  岩手県盛岡市盛岡城跡、福島県福島市飯坂町平野明神脇石堂、滋賀県東近江斗西遺跡、岩手県二戸市姉帯城跡出土の「棒状鉄製品」および北海道檜山郡上野町勝山館跡出土の半月鋼塊の『炭素量』は、いずれも0.1程度で熟鉄の組成に合致することから、中世後期には熟鉄が流通していたと思われる。

『日本の製鉄』  7世紀に始まり、鉄鉱石・砂鉄(夫々の産地によって)を利用して生産。律令制では、「コスト度外視」で全国各地に一律で「鉄の生産」を税として供出を強制。さすがに鉄鉱石・砂鉄の産地ではない地域では生産が行えず、11~13世紀には鉄の生産地域は激減し、中国(山陰)地域や東北地方に限られたとのこと。また、中国大陸でも、産地により「鉄鉱石」「砂鉄」で鉄の生産が行われていたが、北部では、「薪」による生産工程のため、良質でしたが、一方、南部では「石炭」による工程のため錆びやすいと言われています。

【東司ちひろさんの発表】 

「滑石製石鍋」とは、古代~中世の遺跡・遺構で多く出土する滑石(鉱物:Talc、モース硬度1)という、柔らかい石で作られた「鍋」のことを指します。もともと滑石は、弥生時代に漁撈(ぎょろう)で使用する網に付ける重り(石錘)として活用されたり、古墳時代には祭祀用に作られた勾玉の素材に使われていたとされる。しかし、古代末~中世にかけての遺跡の出土からみて、急激に「石鍋」として活用されだしたことが分かってきました。また、残存がよい滑石製石鍋の資料は、大きく2種類の形に分類でき、「把手付型石鍋(一対もしくは二対の削り出しで作られた把手をもつ)」と「鍔(つば、がく)付型石鍋(口縁部に削り出しで作られた鍔をもつ)」である。これらの「把手付型・鍔付型」の滑石製石鍋は、長崎県西海市西彼杵半島にある『ホゲット遺跡』をはじめとする大規模製作所において制作され、全国に広く流通したとされ、制作跡は、他に山口県宇部市下請川南遺跡や福岡県久山町首羅山遺跡西谷地区が挙げられる。

『柏原M遺跡』

柏原M遺跡は、油山・片縄山水源の樋井川上流域に分布し、平尾丘陵や長尾、飯倉等の低丘陵は、樋井川、駄ヶ原川、片江川に浸食されて沖積地を形成。この遺跡では、6世紀~古代にかけての住居址が発見されており、遺跡存続時期は、6世紀後半~10世紀と考えられ、主としては8世紀後半~9世紀前半とか。この遺跡では、製鉄関連遺構(製鉄炉・鍛冶炉)の他、大量のフイゴ羽口、るつぼ、鉄滓、炉壁、焼土などが出土しているので、製鉄に関連する地域であろう。また、晩唐三彩の曲杯や大量の越州窯系青磁器、長沙窯陶磁器等の輸入陶磁器、石帯、硯、墨書土器も発見され、墨書土器には「郷長」「寺」「山守家」「五月」「左原補」等が見られ、有力集団の存在が考えられる。この遺跡は、古墳時代には地方豪族の居館として、古代には、郷長の居館として存在していたと思われる。良質な滑石を利用した①鍔型滑石製石鍋1点と、②滑石製鉢型容器が出土している。

最近の滑石製石鍋研究では、全国で出土する石鍋から、編年を組み型式を設定する研究から、徐々に自然科学分析を利用した「滑石の成分」から石鍋の制作場所を推定する研究へと変化しているそう。しかし、なぜ「滑石」が古代末~中世にかけて、広範囲で使用されたのか、「いつ・どんな形で・どんな人々が・どのように利用したのか」の検討や、それに関連する製作址を交えた実証的な研究が不足しているとも。また、全国規模で出土する石鍋を、考古学的手法を基に、「地域の流通」という視点で見ることで、「石鍋の生産地」を検討できるとも。今後、糸島地域をはじめとする福岡平野の海岸部における、「石鍋の生産と流通」について研究し、遺物を収集しつつ、滑石製品の形や時代ごとの変化について分析したい。弥生~古墳時代、古代前半という滑石の利用の流れの中で、なぜ古代末から唐突に「石鍋」という形で使用され始めたのか、石鍋が時代ごとに、どのような変化をするのかを明らかにしていきたい。








 【参加者のアンケートより・・・一部抜粋】
●中世の鉄の話、柳川の鷹尾家文書、高良大社の文書が、とても興味深く聞きました。来年の発表を楽しみにしています。滑石の話もとても勉強になりました。研究の愉しさが伝わってきて、とても良い発表でした。
●今日はありがとうございました。いうも、若い学生の方のエネルギッシュな発表に感激、又、学ぼうと思う心が芽生えました。また、お昼も時折、頂きまして感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。観世音寺と「柏原」「鴻臚館」のつながりなど学びたいです。
●鉄の炭素含有量の違いで3種類あると、初めて知りました。大陸との交易が博多だけではなく、有明海沿岸もあった事に興味がわきました。石鍋という滑石から、生活の歴史が伝わります。普段、石は石垣とか石棺に利用されたのは知っていましたが、生活に密着してたと気が付きました。
●鉄のお話、急なピンチヒッターだったにもかかわらず、大変興味深い話をありがとうございました。文書からも、色んなことが分かるのだと改めて感じて、ちょっと読んでみたい。読めたら面白いかもと思いました。滑石製石鍋について、知らないことが多かったので面白かったです。
●大重先生の鉄についてのお話、東司さんの石鍋についてのお話、くわしく説明いただきありがとうございました。日頃、あまり考えたことのないお話しで、身近にある鍋が、石鍋から現在のようなものに変わってきたことがよくわかりました。
●昔、昔の旧いことがよくわかりますね。元の国、フビライの時から日本と交流があったとか、びっくりです。大きな海を越えて、昔の人は冒険心があったのですね。若き研究者たちの熱心な熱意に「がんばれ‼」のエールを送りたいです。