7月1日(火)、毎年恒例の『寺子屋かしはらバスハイク』を実施しました。今回の目的地は 「山口県下関市長府」です。「山口」にまつわる「毛利氏」「長州」「幕末」をテーマに、「かつての城下町を散策しましょう」という趣向のとりくみを計画しました。また、午後からは、帰途の途中、関門海峡を越えて「門司港レトロ」に立ち寄りました。
参加者の皆さんへは、「公民館に7時50分集合、8時出発」とお願いしておりましたが、7時50分には出発でき、幸先の良いスタートとなりました。この一日の行程は【柏原公民館 ➡ 都市高・堤インター ➡ 九州自動車道・福岡 ➡ めかりSA(トイレタイム) ➡ 下関インター ➡ 長府観光会館 ➡(長府侍町、笑山寺、功山寺、下関市立歴史博物館・毛利邸、乃木神社、忌宮神社を散策) ➡長府観光会館(食事) ➡ (関門トンネル) ➡ 門司港レトロ(約80分) ➡ 門司インター ➡ 古賀SA(トイレタイム) ➡ 大宰府インター ➡ 都市高・堤インター ➡ 柏原公民館】でした。
参加者の皆さんが、僅かでも「長府散策」に興味・関心を持っていただく為に、バスの中で館長より「毛利氏・長州・幕末」についての説明をしました。
主な内容は、【毛利の名の由来➡鎌倉殿の13人の一人・大江広元の4男(季光)が、相模国にもつ荘園・毛利荘に因んだこと】【長門国・長府藩の藩祖は、毛利元就の4男・穂井田元清の子で毛利秀元。因みに、笑山寺の名は、当時、廃寺であった寺を、秀元が父・穂井田元清の号「笑山」からとって名づけて復興したもの】【1859年、乃木希典が10歳の頃、江戸の長州藩上屋敷より長府へ転居したこと、やがて西南戦争(官軍)・日清戦争、日露戦争の従軍とりわけ日露戦争では、大将としてステッセル将軍との水市営会見が行われ、やがて明治天皇の信頼も厚く、学習院院長に長年就いて、明治天皇死去の際の「大喪の礼」(1912年9月13日)の当日に妻・静子とともに殉死したこと】【ペリー来航(1853)年から、大政奉還・王政復古の大号令・戊辰戦争までの「新政府樹立」に至る、日本国内の主な出来事(日米和親条約、不平等条約の日米修好通商条約・安政の5か国条約・大老井伊直弼の幕閣絶対主義・安政の大獄、桜田門外の変・攘夷派襲撃、弾圧の8月18日の政変、寺田屋事件、池田屋事件・外国との交戦に繋がる生麦事件、下関戦争、・倒幕への布石として高杉晋作による功山寺挙兵、長州征討の長州勝利、薩長同盟・旧幕府軍と新政府軍による最後の戦争として鳥羽伏見の戦い、函館戦争(戊辰戦争)】というものでした。
帰途のバスの中では、参加者の「頭の体操」の時間。お題を「山口、長府、門司港」として、一句詠んで頂こうという企画。限られた時間ではありましたが、皆さんのご協力で沢山の「作品」を頂戴することができました。その中から、「館長の独断」で「館長賞」を3名の方に差し上げました。以下に紹介しますが、作品のすべては、公民館に掲示しておりますのでご来館の折にご覧ください。
『五月雨に 東行の 声を聴き』(秀徳英介さん)…東行(とうぎょう)は、高杉晋作の号。『水無月に 君を思って レトロ町』(森田やす子さん) 『家光の ふくろうあいらし 梅雨の長府路』(猿渡悦子さん)…家光は、ふくろうの絵が得意で、藩祖・元秀にその絵を贈ったという逸話を、歴史博物館学芸員が紹介されました。
昼食は大変豪華で、「ふく」や「瓦蕎麦」など、山口の名物をもりこんだ品々で、参加者の皆さんにも大好評でした。午後の「門司港レトロ」での自由時間では、皆さん、買い物や門司港駅などの見物に夫々楽しんでいらっしゃいました。この日は、「歩く」ことがメインでしたので、バスハイク終了の頃は、どなたも「お疲れ」でしたでしょう⁉来年も、新たな企画を提案できますように、スタッフ一同「無い知恵」を絞って頑張ります。
【参加者のアンケート・・・一部抜粋】