今年度4回目の歴史講座は、標記のテーマで12月14日(土)10時より、当館講堂にて開催しました。今回の講師は、福岡大学考古学研究室准教授・古澤義久先生。助手の大重優花さん、学生の吉田煌さんが、参加者の皆さんへのお手伝いをして頂きました。
「拓本」とは、実物資料の上に紙を当て、上から墨を打ち付けることで、凹凸を写し取ることです。水を使って紙を密着させる「湿拓法」と、水を使わない「乾拓法」とがあります。「魚拓」も拓本の一種ですが、考古学で用いる拓本とは異なります。魚拓の場合、魚本体に墨をつけて上から紙や布をかぶせて写し取るので、出来た画像は左右が反対になります。考古学の拓本は実物資料の上に紙を当て、上から墨を打つので、左右が反対になることもなく、資料を汚すこともありません。
拓本は、中国で発明された技術で、7~8世紀、唐代には存在したと言われますが、実物が残っていないそうです。約1000年前、宋代に盛んに作成され、技術が進歩したとのこと。日本へは鎌倉時代に伝わり、江戸時代に盛んに制作され、拓本自体の研究も進んだそうです。
古銭代表格「寛永通宝」は、銅銭。当時「1文」は今の25円とか。二八そば16文で、今の400円とのこと。また、銭形平次(フィクション)の投げ銭は、おそらく四文銭(100円)だろうとのことです。この四文銭は、銅銭の模様に波線が描かれていたため、「波銭」とも言われたそうです。当時、どの商品でも「4文」の店(現在の「100均」)が出現、四文銭の登場で、団子1串5個が4個になったとの逸話も。因みに、「団子3きょうだい」がブームの時は、3個になったそうですが、ブームが去ると、また4個になったそうですよ。江戸当時、川柳に『そこが江戸 水1杯を 波でのみ』というのがあったそうで、「波銭=四文」から、水1杯を4文で売っていたことが伺えます。
ところで、この「寛永通宝」の失効はいつかご存じですか?古澤先生によりますと、1953年の法改正で失効したとか。比較的近年まで効力があったとのことですが、どういう使い方ができたのでしょうね!
古銭の拓本作りは、まずは古澤先生の実演を見た後に、それぞれが古銭の上に紙を張り付け、水で湿らせつつ空気を抜いて乾かします。少し白くなれば、墨を打ち付けて完成ですが、なかなかうまくいかないものです。参加者の皆さんは、何度もやり直しを経ながら、作品(?)を完成しました。
【参加者の感想・・・一部抜粋】