福岡大学考古学研究室との連携事業「歴史講座」の第6回を、2月15日(土)10時より、当館講堂にて開催しました。
今回は、「戦国時代の筑前と大友氏」を大学院2年・小野本慎さん、「明治前期の鉱山経営」を大学院2年・松本隆之介さんによる発表でした。
『戦国時代の筑前と大友氏』では、「そもそも戦国時代の始まりは?」との問いかけから、九州の戦国時代を4期に分けられることの詳細のお話がありました。戦国時代の始まりについては、足利義政の後継をめぐる、義政の妻・日野富子が担ぐ息子・義尚と既に後継者として指名されていた義政の弟・義視の争いの中で、それぞれが結託した細川勝元、山名宗全を巻き込んだ「応仁・文明の乱」(1469年勃発)と、その後、将軍義尚死後、次の将軍・義材に対して日野富子、管領・細川政元がクーデターを起こした「明応の政変」とする説があるそうです。尚、その際、日野富子は、足利義高を将軍に擁立し、義材も将軍として活動しており、国内に二人の征夷大将軍が存在するに至ったそうです。
九州の戦国時代は、室町期より、大友氏と大内氏(九州北部)・大内氏と少弐氏(九州北部)・大友氏と菊池氏(九州中部)・島津一族内の対立(九州南部)が見られ、北部九州の情勢は大友氏と大内氏の二大勢力の動向によって左右されたと言えます。大友氏は、鎌倉期から筑前国博多周辺に所領を抱えており、蒙古襲来時の活躍により幕府より香椎地区の所領を与えられたとのことです。その後、後醍醐天皇の勅命を受けて、博多の鎮西探題を攻撃、鎌倉幕府倒幕の恩賞として、博多息浜を拝領、更に櫛田神社や承天寺をはじめとした寺社との関係も構築したとのことです。
『明治前期の鉱山経営』については、五代友厚を中心にお話がありました。五代友厚は、1835年、薩摩で誕生、1865年には、薩摩藩の留学生として海外に赴き、明治になって民間へ下り、金銀分析所、弘成館(鉱山会社)、朝陽館(製藍会社)、大阪株式取引所、大阪堂島米会所、大阪商法会議所などを設立し、大阪の経済に尽力したとされました。明治前期は、鉱山王有思想のもと、政府の鉱山開発がすすめられましたが、明治6年(1873)以降は民間の稼行が可能になりました。五代が設立した「弘成館」は、内部と外部に分かれ、前者は事務的、後者は実働的な業務を担ったことが分かります。また、五代は、鹿児島の鉱山に井上馨らが着手しないように自らが何らかの形で、介入しようと試みたと思われるそうです。五代は、なぜか薩摩出身ながら、此の地ではあまり評価されていないそうです。一方、大阪では逆に評価が高いそうです。