2024年3月28日木曜日

やっと開花です‼

今年の3月は、ナント雨の多いことか❕1月の気象庁による長期予報では、ソメイヨシノの福岡での開花予想日は、3月17日と例年よりも早いとされていました。しかしながら、2,3月の雨天の日が多かったためか、全国的に開花が遅れ、本日、やっと福岡 での開花宣言となりました。

 柏原公民館横の埴安神社の桜は先週末よりチラホラ。本日の開花宣言に合わせて写真に収めてみました。例年より開花が遅れたため、今年の「お花見」は4月上旬が見ごろでしょうか?

 かつては、「サクラ」と子ども達の「入学式」は、ワンセットの風物詩として人々の心に刻まれた風景でしたが、近年は、開花が年々早まり、「サクラ」のない入学式が常態化していました。今年は、もしかしたら、『サクラの入学式』が実現するかも‼




2024年3月12日火曜日

今年度最後の『歴史講座』、桃崎先生登場‼

 3月9日(土)10時より、第7回目の歴史講座を開催し、今年度の講座を終えました。今回は、お待ちかね桃崎先生の登場です。テーマは「金属器模倣須恵器」。桃崎先生の論文「金属器模倣須恵器の出現と北部九州のミヤケ~銅鋺を真似た土器は何故つくられたのか~」をベースに″桃崎節″炸裂、これまでの学者さんのご意見や様々なエピソードを交えてのお話でした。後半は、大学院生の大山清加さんによる「筑後川中流域の古墳時代像」のお話でした。

 我が国への仏教伝来と同時に銅鋺(銅のお椀)が伝わったとされます。桃崎先生の論文によると「福岡市那珂・比恵遺跡群などの那津宮家関連遺跡や大野城市牛頸窯跡群、春日市惣利西遺跡、北九州市天観寺窯跡などの金属器模倣須恵器について器形と出現時期、原形となる銅鋺と比較検討したところ、これらが朝鮮半島系の食器体系ではなく、隋代の金属器や模倣陶磁器の規格を踏襲していることを明らかにした。遣隋使派遣による『隋朝儀礼』の受容によって、隋の宮廷儀礼に準ずる外交儀礼が周辺諸国にも要求されたと考えられる」とあります。また、「那津宮家については、磐井の乱後の軍事拠点としての役割が、来目皇子の嶋駐屯に伴う軍事拠点機能の西方移転によって軽減され、外交機能に特化していったと考える余地があるだろう。よって金属器模倣須恵器の展開が不明瞭な地域は、7世紀に神籠石や朝鮮式山城が整備される地域と重なる傾向にあり、その前提が征新羅軍の先例を踏襲したと考えれば、総体的に軍事体制と関係が深い地域であると評価できる。これに対し、金属器模倣須恵器の生産拠点は、その後の官道・駅路整備に伴う、外交施設や非軍事的な物資供給や地域間交通に関わる地域であると考える」とも見解を述べられています。

 一方の大山さんのお話では「筑後川中流域の古墳時代について、朝倉市・うきは市・筑前町・小郡市に焦点を置き、主に古墳時代中期の時代像について取り扱った。これらの地域は、朝倉産初期須恵器の窯跡、同須恵器や、その他の渡来系遺物及び大陸からの新しい技術に関連する遺物の棺内副葬など、渡来人の痕跡が確認できたり、長持形石棺を主体部に有し、多くの武器・武具・馬具を副葬する、畿内的で強い武人的な性格を有する主張が存在したりすることが特徴であるといえよう」とのことでした。

【参加者のアンケートから】「久しぶりに桃崎節を聞くことができました。人的・歴史のつながりをあらためて考えました」「今日は楽しみにしておりました。久しぶりの桃崎先生のお話、やっぱり引き込まれます。よくわかりました。又、歴史の本ももう一度読みたくなりました」「毎回興味深い講義等、ありがとうございます。いつもながら、桃崎先生の饒舌なお話に引き込まれました。インドの金属器の使用方法、金属器と模倣器との使い分けがあり、その理由も興味深く拝聴しました。来年度の歴史講座も楽しみにしております」「銅鋺を通じて、朝鮮半島と中国と日本の関係外交使節、政治・仏教の歴史を確認できました。筑後川流域の古墳時代を確認しました」「筑後川中流域の古墳時代の話は、興味があり、面白かったです」