2023年10月20日金曜日

第5回寺子屋 公民館バスハイク事前学習会を開催‼

今回は、11月30日に実施予定の『柏原公民館バスハイク』に向けての事前学習会です。新型コロナ禍を挟んで、4年ぶりの実施となります。これまでは公民館主催でしたが、今回は健康推進連合会との共催で行います。「敗戦から生まれた街 『西の都』太宰府」のテーマで、「ボランティアガイド 歩かんね太宰府」の島松尚宏さんより、663年白村江の戦いからおよそ100年を『奇跡の100年』と題して、当時の太宰府の存在感の大きさについて豊富な知識をもとに、様々なエピソードを交えながらお話をしていただきました。

後半は、このバスハイクが「健康連」との共催で「ウォーキング」を兼ねていることから、南区保健所保健師・坂口裕美さんより「よかトレ」の紹介やストレッチ体操の指導をしていただきました。

 白村江の戦いは、新羅・唐の連合軍によって、百済が征服された戦いですが、その際、百済より支援を要請された倭国(日本)も大敗北を喫しました。以来、朝廷の役所を内陸に移し、水城を築造し、百済からの亡命者を多数受け入れ、先進知識の習得に努め、所謂「平和外交」を推し進めました。戦後処理から制度の整備に専念するため、遣唐使を33年間、派遣しませんでした。戸籍、税、法律、行政組織等が整備され、701年大宝律令、710年平城京遷都。702年第7回遣唐使の折、国号を『日本』に、大君を『天皇』に改称とのこと。737年天然痘大流行で多数の死者を出し、当時の聖武天皇は,仏教中心の政治に。観世音寺落慶法要、東大寺大仏開眼供養も行われ、753年には、苦難を乗り越えて、鑑真和上が大宰府に。また、761年には観世音寺に戒壇院が設けられました。当時は勝手に僧を名乗っていたようで、資格を持った僧の必要性から、この様な施策が講じられたとか。菅原道真がこの大宰府に流されるのは、こあと100数十年後のことです。【島松さんのお話より】