2024年1月24日水曜日

歴史講座を開催しました‼

 今年度第5回『歴史講座』を、1月20日(土)10時より開催しました。今回の講師は、福大考古学研究室の大学院生・永山亮さん、中村昂希さんで、前者は「石鏃(せきぞく)について」、後者は「室町・戦国時代の武家文化~(遠国の武士と連歌)」というテーマでお話をしていただきました。

 「石鏃」とは、矢の先につける石器の矢じりのことです。高校の教科書・東京書籍では「1万年前に完新世(温暖化)が始まり温暖な気候が訪れた。大型動物(マンモス・ナウマンゾウ)が絶滅し、イノシシなどの中小動物が繫殖するとそれに対応して弓矢が狩猟具として普及した。」 とあります。小型動物は動きが素早く、動物をしとめるのに有効な道具として、弓矢が出現したものと解されます。しかしながら、1990年代後半に「AMS法」と呼ばれる新しい年代測定法により、縄文時代が寒冷期(草創期)に開始されたことが判明した、とのことで、石鏃の出現も、従前の見解が修正され、1万6000年~1万7000年前に遡るとのことでした。また、土井ケ浜遺跡では、大型の石鏃が刺さった人骨が複数出土しており、戦闘に石鏃が使用されたことがわかっています。愛知県朝日遺跡では、シカの腰椎に刺さったままの小型石鏃が出土しており、弥生時代になっても石鏃が使用されていたことも分かっているとのこと。なお、縄文土器は関東で普及しており、北部九州では撚糸文土器、南部九州では水迫式土器(円筒形土器)が主流で、「縄文」は見られないそうです。ですから、「縄文」が見られない土器でも、「縄文時代の土器」として、「縄文土器」と呼ぶそうです。

 和歌は、所謂『短歌』のことで、「5・7・5・7・7」で完結します。「連歌」とは、上句(5・7・5)と下句(7・7)に分けて、上句をAさんが詠み、下句をBさんが詠むという手法で、ふたつあわせてひとつの作品として完成させるもの。京都を中心に発達した連歌は、武士にとっても必須の教養で諸大名は連歌師を招いて指南を受けるほどで、最盛期は室町時代とのことです。連歌会は、大人数でが集まる絶好の機会で、連歌師は和歌や連歌を詠み、紀行文を記すことに加え、他者を指導し、連歌会を仕切るといった文学的活動を行うほか、各地を巡回して様々な情報伝達を行う「裏稼業」をもっていたそうです。

 今年は2024年。宗祇の弟子の『宗碩(そうせき)』生誕550年にあたるそうです。1516(永正13)年に京都から周防に入り、三か月ほど山口に滞在し、九州に入ります。


「豊前➡豊後➡日向➡大隅➡種子島➡肥後➡筑後➡筑前➡長門」の経路で九州内陸一円にわたる大旅行で、九州各地域の文芸享受に与えた「宗碩」の影響は師匠・宗祇の比ではないとか。この時期には、九州の地域権力と京都の公家との間で、文化的交渉を行うことが盛んで、こうした状況のなかで、宗碩の九州巡歴は行われ、宗碩自身の連歌・古典学の造詣が歓迎され、大きな文化的効果がみられるそうです。